やちまたよしくらのピーナッツバターが生まれるまで。
私が八街市に引っ越してきたのは、小学校6年生のとき。昭和63年のことです。
落花生好きの父が、八街産の千葉半立(ちばはんだち)の美味しさに
心を奪われるのは、一瞬のことでした。
朝の食卓はもっぱらパンとコーヒーだった我が家で、
父は「これだけおいしい落花生があるなら、ピーナッツバターもきっとおいしいはずだ」と、
いくつものピーナッツバターを買い集めました。
ところが、どれも添加物が入っていたり、
千葉半立の美味しさをそのまま伝えるものではありませんでした。
後から知ったことですが、当時のピーナッツバターの多くは、
「くず豆」と呼ばれる、そのままでは売り物にならない落花生を
原料に使っていたそうです。
だから、あれだけ探しても見つからなかったのかもしれません。
やちまたよしくらでは、そのまま食べておいしい、
しっかりと実の入った落花生をふんだんに使っています。
「本物の千葉半立の味を、そのままピーナッツバターに」
それが、私たちのゆずれないこだわりです。
それを見かねた母が、フードプロセッサーを取り出してきました。
「だったら、つくってみましょう」
父への純粋な愛情と、子どもたちに安全なものを食べさせたいという想いで、
母のピーナッツバター作りが始まりました。
家庭のフードプロセッサーではなかなかなめらかになりません。
紅花マーガリンを入れてみたり、国産の無添加菜種油を加えてみたり。
それでも、香りはとても良く、市販のピーナッツバターよりずっと美味しかった。
「千葉半立って、こんなに香りがいいんだ」と、改めて気づかされました。
母が作り上げたのは、家族への愛情そのものでした。
やがて、母のピーナッツバターは父の仕事のお客様へのプレゼントになっていました。
「こんなにおいしいなら、売ってもらえませんか」
そう言ってくださる方が現れたのも、この頃のことです。
2011年3月。東日本大震災が起きました。
八街市も相当な被害を受けました。
あの日、私は隣接市で派遣の事務員として働いていました。
当時、娘は小学校2年生、息子は保育園の年長さんでした。
揺れが収まっても、すぐには戻れない。
父が小学校へ娘を迎えに行ってくれました。
私は信号のつかない道路を、余震に震えながら運転して帰宅し、
息子を保育園に迎えに行きました。
普段なら20分ほどの道のりが、1時間以上かかりました。
その経験があったから、父の言葉は深く刺さりました。
「何かあったとき、すぐに子どもたちのそばにいられるよう、
地元で働くことを考えてみないか」
あの日、自分が子どもたちのそばにいられなかったこと。
その後悔が、私を動かしました。
こうして私は地元・八街で働くことを決め、
母からピーナッツバター作りを引き継ぎました。
これが、やちまたよしくらの始まりです。
仕事を受け継いでから、私はさらに改良を重ねました。
落花生の等級を変えてみたり、油分の多い高級な豆を使ってみたり。
すると、豆だけでも驚くほどなめらかに仕上がることがわかったのです。
千葉半立の中でも、しっかりと実の詰まった上質な豆には、
なめらかさに必要な油分が十分に含まれていました。
余計なものは何も要らない。
母から受け継いだバトンを、私なりの答えでつないでいます。
今、やちまたよしくらのピーナッツバターは、
地元の仲間たちと一緒に作っています。
ダブルワークの隙間時間に来てくれる友人、
起立性障害をお持ちの娘さんと一緒に来てくださる農家さん。
それぞれの事情を抱えながら、支え合いながら作ってくれる仲間たちがいます。
このピーナッツバターには、たくさんの人々の愛情が込められていると、
私は思っています。
今、私は八街市の市議会議員としても活動しています。
議員とお店の経営、二足のわらじは決して楽ではありません。
それでもここを離れず、この土地で続けているのは、
あの日の父の言葉と、母が作ってくれたピーナッツバターの味が、
私の原点だからです。
八街の落花生農家さんが丹精込めて育てた千葉半立を、
一粒一粒、手で選んで、手で作る。
この土地への誇りと、家族への感謝を込めて、
これからもおいしくて正直なピーナッツバターを届けていきたいと思っています。
やちまたよしくら 代表 木村 由希子
まずは、食べてみてください。
一口で、違いがわかります。
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